コロナウイルス、フランスでロックダウンが3月17日から始まるまで

コラム
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ロックダウンの影が忍び寄ってきた

9歳の息子のバカンスが終わった2月末には既に雲行きが怪しくなっていたコロナウイルス 。学校からも“中国本土、香港、マカオ、韓国、シンガポール、イタリアのロンバルディアとベニス行った人は政府要請のため、申し出て下さい。”というお知らせが来ていた。その時はさすがにイランと書いてないのは簡単に行けないからだよね~とジョークを言っていたくらいでした

2月中旬にパリ20区の小さなチャイナタウンに中華食材を買いに行ったら、人が少ない。棚に並んでいる食料品も少ない。そうか、やっぱり中国からものは入ってこないよね・・・とはっとしたのを覚えています。
気をつけないとなー、ちょっと色んなもの備蓄しといた方がいいかな・・・と思ってからがとにかく、早かった!

フランス大統領令で子どもの学校を閉めると発表があったのが狙ったかのような3月13日金曜日の夜20時。こうなることは隣国イタリアの状況からも2週間前くらいから予想はしていたのでやっぱり・・・。

まず最初に考えたのは仕事。私の仕事は観光業と直結していて、携帯電話も支給されているので一部の仕事を除けばどこででもできる。子どもの面倒を見るために結局、私が中心にテレワークになること必須。この時はまだ子どもの学校のみ閉めるという発表だったので、どうやって子どもの面倒をみるか、だけ考えていました。とにかく月曜はパパが仕事に行き火曜日は私が行く番にしてもらい、整理したい書類とかを持ち帰ろうと思っていました。

人々はちょっとしたパニック買い

次の日の土曜日、いつものように大型スーパーに買い物に行くと、棚は2週間前から結構がらがらだったのがパスタ、コメ、缶詰は“2つまでにして買い占めはご遠慮下さい”の張り紙もむなしくすでにほぼ商品がない状態。うさぎの餌すらも1番必要なわらは売り切れ。
そして日曜はカフェ・レストラン・バーの飲食業が一部テイクアウトを覗いて閉店。

次の月曜の夕方、まだ外出制限がなかったので近くの森のような公園へ息子と散歩に行った時に、すれ違う人たちの多くが買い物キャディーを抱えている・・・
森で子どもの友達家族に偶然出会うと、もう既にお互いに近寄っちゃ行けない、という異常な雰囲気。そこで今夜、また大統領演説があると教えてくれました。

だからか!みんなもう外出制限が来ると予測してるんだ!
家に1人子どもを残すのは通常しないのですが、これは緊急事態。帰ってからすぐに息子に初めての留守番を頼み、私も買い物へでかけると・・・

私の住んでいる所はパリから5kmくらいの郊外で普段はこどもであふれる街です。しかしこの時はキャディーバッグや買い物袋を抱えた大人で道はあふれかえり、みんながあたふたと歩き回っているというちょっとしたパニック状態になっていました。

いつもの有機栽培のスーパーへ行くと、そこはロックダウンを見越して期間中閉店することにしたらしく既に棚はほぼがらがら。大きなスーパーへ行くと、長蛇の列。パニックを避けるため、他の人と1mの距離を取るという政府指導を守るため、入場制限をしている様子。冷凍食品店やもう1つの有機栽培スーパーも並んでいる。息子を1人で長時間家に置いとくのは心配なのでとにかく、食料品を2週間分は買いたい・・・

やっと次のスーパーで、3分の1くらい残っているものの中からとりあえずの食料品をゲット。生鮮食品はあまり残っていない。うちはもともと家も小さく、買いだめを嫌うパパのお陰と冷凍食品をほとんど食べないことで小さな冷蔵庫があるのみ。ちょうど2週間前、パパに冷凍庫を万が一のために買ったほうがいいかも、と提案して却下されたところでした。

家に帰ると息子は週中は通常禁止のゲームができて嬉しそう。
どっと疲れがでたけど、休む時間もなく夕飯の準備をしていると、パパが帰宅。
会社の近くのスーパーで手に入るもの買ってきて!とヘルプを出したら、ジャガイモを1キロ、近所のミニスーパーで買ってきた。なぜだ・・・。なるほど戦争中の思考でジャガイモは長持ちする、なのね・・。そして“明日から外へ出るな。会社にも行くな。”と旦那命令が出ました。“旦那が会社に行くなというので行けません。”というのは日本では結構笑えないなと思うのですが。ただ事態は思った以上に深刻だったのですね。

大統領令はやはり、のロックダウン発表。最初は2週間、延長ありとのこと。まさに“ウイルスとの戦争”という言葉を何度も繰り返していたのが印象的でした。パパのジャガイモも納得です。(笑)
結局私は会社にはいけず、心の準備もままならずロックダウンはこうして3月16日の夜からいきなり始まったのでした。そして事態は日を追うごとに深刻に…

 

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